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2007年06月05日

不当にも起訴されたのに、なぜ、勝利なのか?

「学生のブログには『起訴は不当だ、徹底弾劾だ』と書いてあるのに、『前進』には『起訴は大学の敗北であり、学生の勝利である』と書いてあります。これはどういう意味なのでしょうか?」という質問が届きました。
この件について、『前進』拡販員の小林寛氏(筑波大学出身)に問い合わせたところ、「解説」が届きました。小林氏に「ブログに載せてもいい?」と聞いたところ、「どうぞ」というので、ここに紹介します。

以下、小林氏による解説です。

僕の認識では、この間の逮捕で、実は「起訴」を一番嫌がっていたのは法大当局だと聞いています。要するに「裁判」になれば、否が応でも証人として「関係者」が出てこないわけにはいかないからです。昨年末の「学外者」の逮捕の際にも、結局最終局面で「日和った」のは当局だと聞いています。
その意味では、刑事であれ何であれ「裁判」に「持ちこまざるをえなかった」という意味で「大学の敗北で学生の勝利である」ということになるかと思います。
「不当逮捕である」ことは間違いないのですが、「裁判に引きずり出した」という勝利でもある、ということだと思います。
これは、「『日の丸・君が代』押しつけ」は不当だけれども、処分されようが逮捕されようが、不起立を貫く教員が一人でも現れたら「押しつけ」の部分が大衆的に鮮明になる、という意味で「勝利」と総括する、というのと似ています。戦前の教訓に踏まえたものだと思っています。

‥ということで、今から一人酒でもします。 (^o-)-☆

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