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孤立せずにユビキタス
子供用携帯電話の売れ行きが好調らしく、その手のニュースが最近多くなってます。
今日もこんな記事を読みました。
表題テーマの割にはそれほど突っ込んだ内容ではないのですが、ケータイ是非論とはちょっと離れたところでのこんな一文に惹かれました。
そういう時こそ、勇気を持って見ず知らずの他人に助けを求めたり、あるいは事故に対して何もできない自分に対して無力感を感じたりというほうが、社会生活に対する学習効果としては正しいような気がする。携帯電話のおかげで、自分だけが一本釣りで助かったような状況というのは、都市型社会では考えにくいのではないか。それよりも、見知らぬ他人とコミュニケーションをするという状況に強制的に身を置くというのも、一つの教育の考え方としてはアリかもしれない。うーん一言で言うと、「もっと社会の中で、開けたコミュニケーションを築いて生きていけるようにしようよ」という感じでしょうか? まあ、ご近所づきあいだとか、地域社会での助け合いとかいうことにも繋がりますが、生活の基本としてすごく大事なことだなあと思いました。
もっと言うと、「SOS」をいつでもどこでもはっきり出せるということなのかな? 日本社会って、このSOSをどうも出しにくい雰囲気というか、実際出せない場合が多くありませんか? 自分にも思い当たるところありますよ。
ITインフラとかがすごい勢いで整備されていて、ユビキタス社会の到来とか言われています。確かに人と人が繋がるツールはすごく増えているし、WEB2.0なご時世だし、ってのがありますが、一方で核家族が孤立しがちな状況というのは改善されていない。携帯電話やGPSで繋がっているのは、孤立した家庭内だけでの話。とういのでは、寒々しいですよね。
で、取り急ぎ心がけなければいけないのは、何でも話せる子に育てよう。良いことは良い。悪いことは悪い。助けが必要な時は助けて!と腹からスッと言える子に育てよう。
そのためには、親(大人)が常日頃から最大限の勇気を持ってそう振舞う必要がありますよね。子供を守るためには、携帯を買う前にやらなくてはいけないことがたくさんあると思います。
投稿者 suemura : April 19, 2006 11:00 PM
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